おはらい町について
お伊勢さんに見守られ
昔と今、静と動が混在するまち
お伊勢さんへと続く石畳。
この“通り”を歩く人の数だけ、物語がある。
伊勢の賑わい、おはらい町
皇大神宮鳥居前町一帯は「おはらい町」と呼ばれています。
清流五十鈴川に沿い、内宮宇治橋から北へ約800mのおはらい町通りは、内宮さんの参拝者と密接な関係を持ってきました。来訪者は年間約550万人、おはらい町には約100店舗が建ち並でいます。
歴史
江戸時代には、御師(*注1)の館が軒を連ね、全国からの参拝者を迎える賑やかな町でした。「おかげ参り」といって、全国からたくさんの人々が「お伊勢さん」へ訪れました。宝永2年(1705年)には362万人、明和8年(1771年)には200万人、文政13年(1830年)には427万人の参宮人があったと記録が残っています。当時の日本の人口は2500~3000万人と言われていましたから、大変な人数だったと考えられます。 現在では、年間約800万人の参拝者にお越しいただいています。明治のはじめまでは、たくさんの「御師の館」があり、神宮に代わりお神楽をあげていました。このことから、この町を「おはらい町」と呼ぶようになったと言われています。
*注1:「御師」とは「御祈祷師」とも呼ばれ、室町時代から活躍し江戸時代が最盛期でした。全国に檀家を持ち、伊勢信仰を日本各地へ広めた神宮の神官たちです。毎年、信徒を回りお札と伊勢暦などを配り、伊勢に来ると泊めたり、お神楽をあげたりと、もてなしをしました。現代の旅館業や旅行業者の役割をしていました。